会長コラムCOLUMN

第58回 「 『遊』の意味について 」 2026.1.8

 「遊」という語は一般的に娯楽などの楽しみを指しますが、仏教においては単なる余暇行為を超えて、「覚者」の自由・無碍の境地を象徴する重要な語として位置付けられています。意外性があり、背景の深い意味を知ることも一興と思い、年賀状のご挨拶の一部としてこの文字を使ってみました。
 我が国は、皆一緒に助かるという思想である大乗思想が仏教のベースになっています。言葉や概念について経典に照らして楽しく見ていきましょう。

①「遊戯三昧」(ゆげざんまい)
 「遊戯三昧」とは、諸仏・菩薩が煩悩や分別に束縛されることなく、衆生救済の活動を自在に行う境地を指すといわれています。この「遊戯」は覚者の働きが無心・無差別智に基づくことを示すようで、仏の行為は目的・手段に拘泥した営為ではなく、究極的な智慧に裏付けられた「自然法爾の自由な働き」として捉えられています。言ってみれば「融通無碍」「何の束縛もない境地」です。いいなあ。

②「遊行」(ゆぎょう)
 『華厳経』の「入法界品」では善財童子が53の世界を遍歴しますが、この遍歴は単なる旅ではなく、善財童子が諸国土を自由に往来し、あらゆる形態の覚りの現れと出会っていく過程は、あらゆる事象に「住着しない(無住)」存在として世界に関わることを象徴しているといわれています。このように、「遊行」は執着から解放された菩薩の行為様式を表すとされていて、すごいの一言です。

③「遊戯」(ゆうぎ)
 福井の永平寺を開設された曹洞宗開祖、道元禅師は、『正法眼蔵』「遊戯功徳」巻において、「遊戯」を「仏法の現成」であると述べ、「行住坐臥、遊戯三昧なり」と表現しています。ここにおける「遊戯」は、修行が特定の行為に限定されるものではなく、生活の全体がそのまま仏道の発現であるという禅的実践観を示しています。平たく言うと生活のすべてが禅の修行という意味ですよね。遊びという語を用いつつも、それは決して放逸を意味せず、「自他の境界を離れた自然な働き」による行為性を指すとされています。難しい言い回しですが、本来の自分と外界(人も含む)の区別なく生活する。そんな感じですね。

④「遊化」(ゆげ)
 『法華経』「如来寿量品」では、仏が衆生の機根に応じて種々の姿を示し、世界において自由に活動する様子が描かれています。この仏の働きは、後代において「法界遊行」や「遊化」として理論化され、「遊ぶ」ことが仏の慈悲行として理解されるようになったようです。ここでも「遊」は「無碍の智慧に基づく自由な応化」という意味を持つといわれています。

 「遊」という言葉には、執着からの解放という仏教の根幹思想が反映され、覚者の行為が軽やかで自由でありながらも、深い慈悲と智慧に裏付けられていることが示されています。「遊」は言ってみれば、自覚者の存在のあり方そのものであって、仏教思想における自由の概念を現わす語といえます。


《参考文献》
 道元禅師『正法眼蔵』、『道元禅師全集』より(春秋社)
 竹村牧男『華厳思想の展開』講談社、1996年。
 荒木見悟『維摩経の思想』春秋社、1998年。



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