会長コラムCOLUMN
第57回 「 上達への近道 」 2025.11.25
現代書道確立の黎明期に活躍した竹田悦堂氏は、多くの書道に関する書籍を残しています。その一つに「書道学び方教室・楷書編」があり、その冒頭部分にちょっと目を引くコメントがあります。生活のすべてに応用が利くと思われるので、是非紹介させて下さい。
竹田悦堂氏のコメントです。「上達には確かに秘訣というものがあります。しかし、そんなにむずかしいものではないのですが、なかなか実行しにくいものです。しかし誰でもこれだけは実行すれば必ず上達するものです。」そして、次の7つの項目を挙げています。
①やる気を起こすこと、②習字の「場」を作ること、③基本練習はしっかりしよう、④正しい姿勢で書くこと、⑤根気よく続けること、⑥良い手本をたくさん見ること、⑦参考書を読むこと、⑧自信をもつこと
ちなみに、皆さんは、この原稿を見て、フーンと思いますか、それとも目を輝かせますか?
以上がABCネットニュース令和7年10月号の紹介部分です。以下その続きを武田悦堂氏のコメントと坂部の感想を併記しながらご参考に供します。
① やる気を起こすこと
自分自身でやる気がなければ駄目です。
「何の為に習うか」「いつまで続けられるか」「習う時間をどのようにして作り得るか」この目標だけはしっかりしておきましょう。途中で挫折しないために、あまり大きな目標は立てずに着実な目標から始めることです。
⇒目標は着実なものにと。これが肝でしょう。「氏」は3つの事を盛り込むように言っています。
「なんの為に・・・自分に向かって静かに・・うまく書きたいのか、人に教えるまで行きたいのか、段位が欲しいのか、先生と共に歩み
たいのか・・・考えるということです。」
「いつまで・・・自分の年を考えて、社会人になったら中断、定年後に始めるのか、子供が小学校のうちは一緒に続けるのか・・・様々
なステージを想定しておいたほうが良いです。」
「習う時間をどのよう作り得るか・・・・時間を作り得るか、すなわち時間の捻出です。これは環境・年齢などで違いますのでお考え下
さい。私は毎日継続する事柄は朝やることにしています。」
② 習字の場を作ること
いつでも、少ない時間に、すぐ書ける場―環境を作ることが大切です。座ればすぐ筆が持て、たとえ一本の線、一字、一年に365字、その積み重ねが大きな収穫になるものです。
⇒場、環境を整える。わかっているのですが、これができない。整理・整頓の効用は十分わかっているのですが、でも自分でも情けないけど
できない。でも、こう考えたら如何でしょう。
書道(に限らずですが)を何時でも手掛けられるように環境を整えるとなると、おのずと整理・整頓をせざるを得なくなる。道具も、必要
なモノに目が行き、華美な不要なものは欲しくなくなる。書道という一つの場を整えることが、生活のあらゆるところが整う(荘厳されて
いく)ことにつながるという感じでしょうか?
③ 基本練習はしっかり
はじめからすらすらと書こうと思わないでまず基本点画・結構法をしっかり習うことです。日常生活では走り書きになりやすいから、せめて練習するときは「ゆっくり」「落ち着いて」「丁寧に」習うことです。
⇒初めから、すらすら書こうと思わない、よく見て書くという、常に基本を意識することにあります。それが、「ゆっくり」「落ち着いて」
「丁寧に」という言葉で表現されています。基本となるものを身に着けるためには、その手本と自分が一体化するほどの集中力が必要
なのでしょう。
④ 良い手本をたくさん見ること
ただ習っていても手本とどこが違うか自分では検討がつかないし、筆の角度・速度も検討がつかないので戸惑うばかりです。なるべく良い、展覧会・印刷の良い参考書で、古くから伝わっている「名筆」等を見ることにより「良いものと悪いもの」の判断がついてきます。さらにこのような書を書いてみたいという「あこがれ」がわいてきます。これも重要なポイントです。
⇒著者の息子さんである竹田晃堂先生は、手本を書くときには、教えようとする人の前で書いて見せます。それは、父の悦堂先生から習ったと
仰っています。その筆使いのみならず、息使いまで伝わってきます。問題は見る姿勢、見る視点と考えています。
⑤ 参考書を読むこと
宋の詩人であり書家であった蘇東坡は「廃紙山をなすも驚くに足らず、読書万感にして初めて神に通ず」と言っています。技術と理論とは車の両輪のようなもので、理屈ばかりで実際にかけなくてはいけません。書けても理論の裏付けがないと狭い視野・低調な熟練工になってしまう恐れがあります。
⇒「技術があっても理論の裏付けがないと狭い視野・低調な熟練工」このコメント、とりわけ「低調な熟練工」が胸に刺さります。理論は何を
言うのかというのは「根拠」「背景」「筋道をたてる」ということでしょうね。
⑥ 自信をもつこと
練習をすればするほど、自己が小さく、拙く見えてくるものです。誰でもそうです。練習していないときは、それほど考えていないことが、練習しだしてがぜんわかってくるものです。
才能とはそれが成しうる才能ではなくて、「やり遂げるかどうか」という才能ではないかと思われます。「器用型」でも「不器用型」でも、同じ長い鍛錬されたところに「美」が生じるものと考えてよいでしょう。
⇒単純に「自信を持て」と仰っているわけではないのですね。しっかりやればやるほど、自分が小さく・拙く思えてくる。人によって「器用」
「不器用」あるいは「賢愚」があるにしても、基本を愚直に続けることを勧めています。そして、その先にはそれぞれの「美」を見出すこと
ができると言い切られています。書道が芸術だとすると、それは書く人と見る人のコミュニケーションで成立します。これは生活や仕事に
通じるものです。改めて「自信をもつこと」の意味を考えることの重要性を感じます。まさしく上達への近道だと思います。












